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藤田敦史選手 挑戦はなおも続く -レースに挑む肉体と心の条件 -
- 昨年2月の別府大分毎日マラソン大会では、2002年の東亜国際マラソン以来、5年ぶりの優勝、おめでとうございます。
藤田 ありがとうございます。それまでの5年間はケガの悪循環といいますか、一度どこか故障すると、その場所をかばって他の場所が故障する。そうやって、自分の身体の中で故障の場所が次々と伝染病のように移り変わっていくという状態が 続いていたのです。そんな時に伊藤超短波の治療器と出会いました。
- いつ頃からですか?
藤田 2004年から5年にかけてですね。その頃、坐骨神経痛がひどくなっていたんですが、坐骨神経痛は長距離の選手にとって致命的な故障。治らないと思い切り走れないんです。それで、鍼を試したり、マッサージに通ったりしていました。でも、それだと、治療院に通院しなければならず、練習もあるので毎日というわけにはいかない。練習前後の身体のアフターケアを毎日できるものがないかと探していたときに、いつも治療していただいている長野の健寿堂鍼灸院の井出先生に「使ってみたら」と勧められたのが、伊藤超短波の「超音波治療器」だったのです。
- 使ってみていかがでしたか?
藤田 超音波治療器自体は、以前にも使ったことがあったのですが、坐骨神経痛のために使ったのは初めてだったんです。そうしたら、劇的によくなったので驚きましたね。
 
   
- 「携帯型小型電流刺激装置」はどうやって使っているのですか?
藤田 ちょっと痛くなったときに使うとだいぶ痛みが取れますし、同時に予防の面からも使っています。アキレス腱は朝から、次の日に強い練習をするとわかっているときは、前の日の夜に微弱電流設定にした「携帯型小型電流刺激装置」をつけて寝て、だいたい5時間くらいつけっぱなしにします。すると、次の朝はアキレス腱の状態がよくなっているので、強い練習をやってもあまり痛みが出なくて助かっています。
     
     
- その「痛み」というのは我慢できないぐらいのものなのですか。
藤田 アスリートの痛みは、選手にもよると思いますし、痛くても集中すればできるスポーツもあるんです。でも、マラソンは2時間以上続けるスポーツですので、痛みを克服するような集中力をそれだけの長時間持続できないというのが正直なところです。逆にいうと、痛みがあったらマラソンはできない。もちろん、無理をして走ることはできますけれど、最高のパフォーマンスをするためには、痛みがあったら無理なんです。
  アスリートはみんな痛みに対して敏感で、痛みなしにスポーツをやりたいと考えていると思います。しかも、ドーピングの問題がありますから、やたらと薬は飲めない。そういう点から考えても、「超音波治療器」や「携帯型小型電流刺激装置」は、薬に頼らずに痛みをなくせますので、僕にとってはなくてならないものですね。おかげで走るバランスもよくなりました。
- バランスにも関係があるのですか?
藤田 どこか1か所に痛みがあると、そこをかばおうとして、別のある1か所に疲労がたまってしまうんです。でも、痛みがなければ、疲労も全体に分散され、走るバランスもよくなる。マラソンランナーにとってバランスよく走ることはすごく大事なんですよ。

- 別府大分毎日マラソン大会にも、治療器を持っていったのですか?
藤田 大会のときはもちろん、泊りがけで行くときも、「携帯型小型電流刺激装置」だけは必ず持って行きますよ。坐骨神経痛とアキレス腱のどちらの故障があっても、別府大分で優勝できなかったと思います。その点、「超音波治療器」で坐骨神経痛がよくなり、「携帯型小型電流刺激装置」でアキレス腱がよくなった。そのおかげで練習ができたことで優勝できました。二つの治療器を使えば誰もが優勝できるわけではないと思いますが、僕にとってはその二つがあったからこそ、優勝できたと言っても過言ではありません。できれば他の選手には教えたくないですね(笑)。
- 座骨神経痛やアキレス腱の痛み以外にはどう使われていますか?

藤田 痛みの深さによります。筋肉の表面に近い部分が痛いのか、それとも骨に近いところが痛いのかとか、長年やっていると自分の感覚でどこが痛いかわかってくるんです。「超音波治療器」は、奥が痛いとか炎症しているときに使い、逆に、痛みが浅い部分だったり、表面がこわばっていると思うときには「携帯型小型電流刺激装置」を使ったりしています。もちろん、治療院の先生とも相談しますよ。
 
     
     
  - マラソンは肉体的には何歳ぐらいまで続けられそうですか?
藤田 マラソンは、肉体との勝負という部分もあると思いますが、僕自身に関しては引退の引き金になるのは気持ちだと考えています。これまでも、ケガをしたりして、気持ちが折れそうになったことは何度もありますが、それでも、もう一回がんばろうとやってきました。その「もう一度がんばろう」という気持ちになれなくなったら終わりだと思います。それが、何歳なのかはわかりません。今は、気持ちが折れても、テンションを落として、ある程度のことは忘れ、そこから気持ちをつなぎ直して自分を立て直すということができています。これからも全力でマラソンを続けていきたいと思っています。

藤田敦史 (ふじた・あつし)

1976年11月6日、福島県生まれ。駒沢大学卒業。富士通所属。日本を代表するマラソンランナー。体育の先生に勧められて中学時代から陸上を始める。大学在学中は4年連続で箱根駅伝に出場。大学在学中の99年3月に初マラソンとなった「びわ湖毎日マラソン」で瀬古利彦のもつ日本学生記録を更新して、2時間10分7秒をマークした。卒業後は富士通に入社。入社した年にセビリア世界陸上で6位、翌2000年には福岡国際マラソンで優勝を果たした。02年東亜国際マラソンで優勝。07年、大分別府毎日マラソンで5年ぶりに優勝。藤田敦史の強さを見せつけるとともに、復活をアピールした。
 
     
 
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